この言葉は「魔法の言葉」である。
28歳のころ、自身で事業を立ち上げて10年が経とうとしている。
その間、様々な会社経営者や格闘技世界チャンピオンの方と関わるなど、多岐にわたる分野の方々と話をする得難い機会をいただけた。
初め「androidアプリケーション開発」を専門とした事業として立ち上げたyamatocreationだが、今では「教育」「デザイン」「発達障がい支援」「PCサポート」など、多岐にわたる分野で社会貢献を目指す事業として変化してきた。
こうした10年の経営経験と、いち社会人としての社会経験の中で、ひとつの疑問が生じた。「謙虚」という言葉だ。
この言葉は「魔法の言葉」である。
謙虚であるということそのものは良い。相手は気持ちよくいられるし、組織の中では円滑な人間関係を築けるかもしれない。
日本という文明社会の中では、これほど神々しく煌びやかに飾られた言葉はないだろう。
謙虚こそ誇り。謙虚こそ美徳。謙虚であればそれだけで最高の社会人なのだ。
だが、この「謙虚」という魔法の言葉は、使い方を誤れば「悪魔の言葉」になってしまう。
例えば、「謙虚」という言葉を組織の上に立つ者が使えば、途端に下の立場の者は「自分は謙虚にならなくては」という気持ちにさせられる。それどころか、「ああ、自分はなんて謙虚じゃなかったんだろう。反省してより一層謙虚に生きなければ」と、自ら目立たない生き方を選んでいく。「わたしなんて。」と、自己肯定感を失っていくのだ。
新社会人をはじめとする若い人材、中途で入社した気鋭の人物、彼らに求められているのは何であろうか。
それは、「新たな時代を背負って立つ力」である。決して「目立たぬように小さくなって生きること」ではないのだ。
このようなことをしているから、新たなアイデアが生まれてもそれを進んで発言する空気にならないし、それ故に日本のビジネスパーソンは遅れているのだ。
私もまだまだ若輩であるが、若者よ、ただ謙虚にしていればいつの間にか昇進し給料が上がる時代はとっくのとうに終わっていることに早く気付こう。
新たな時代のパワーを見せつけてやるべきじゃないだろうか。
クビや降格なんて怯えるに値しない。会社はそのようなことをなかなかできない世の中になっている。私もいくつかの企業に所属し、やんちゃをしてきたが、お叱りは受けても解雇や降格にはなったためしがない。むしろ昇進の道が見えることが多かった。
ブラック企業の言いなりになって、大切な人生を消耗すべきではない。
自分の人生は自分のためにあるのだ。
「謙虚」とは、人の上に立った時、すなわち「力のある者」が、部下のアイデアや意見を聞くために使ったほうが、より良い社会に近づくのではないだろうか。
私が見てきた尊敬できる成功者は、みな「謙虚」だ。
謙虚さとは何かを調べていくとこんな本に出合った。
エドガー・シャイン氏の著書である。リーダーを目指す方、リーダーになりかけの方。なりたての方。
そんな方にお薦めの一冊。
この記事を書いた人
yamatocreation代表
大和勇輝
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