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【社会を生きる強さ】ナポレオンから学ぶ



今回は、20世紀最高の伝記作家と名高いドイツの作家エミール・リードウィッヒ著『ナポレオン伝』をもとに、ナポレオンの強さと弱さを探る。

そして、彼の行動から現代のビジネスに活かせる技を学びたい


はじめにナポレオンの偉業をまとめる

①フランス革命後のフランスをまとめ上げ、封建制度を解体。 ②巧みな話術で英国をのぞくヨーロッパのすべてを支配する皇帝となる。 ③優れた法律「ナポレオン法典」を発布。



これらの事柄からビジネスのヒントを探る。



①フランス革命後のフランスをまとめ上げ、それまでの政治体制を解体。

彼の生きた時代は、フランス国民が貴族に反乱を起こし民主主義の理念を確立したフランス革命の真っ只中。まさに混乱の時代であった。

このとき力を失っていたフランスは、周囲の国から領土を狙われていおり、他国の進行を食い止める戦いにおいて功績をあげたのがナポレオンであった。


〇会社が何かの要因で混乱期となっているとする(経営悪化、コロナの影響、社員の不祥事etc)。あきらかに組織が悪循環に陥り衰退しようとしているとき、あなたがとるべき行動は何だろうか

早めに転職をして傾いた船から脱出するのもよいだろう。私も転職は肯定派である。

だが、「ピンチはチャンス」という言葉を聞いたことがあるはずだ。ピンチのときにこそ、行動し功績をあげたものには通常の2倍3倍の栄誉が返ってくるものである。

そして、そうした行動の先にこそ、組織全体の新たな道筋というものが見つかるものだ。

「恩は売れるときに売れるだけ売るべき」である。謙遜はたしかに美徳であるが、あなたの上長があなたの功績をしっかりと公平に評価してくれるかといえば、それは上長の人格と能力に命運をゆだねるしかない。

だが、あなたの人生はそれでいいのだろうか。もし、上長があなたの功績に気付きもしない、それどころか横取りするような人物だったらどうか。

どんなに謙虚なあなたでも嫉妬や怒りの気持ちはわかないだろうか。そんな気持ちをもって居酒屋や休憩室でぐちぐちと陰口を言うくらいなら、初めから自分の功績は堂々と宣言するべきなのである。ピンチな時にこそチャンスは転がっているものである。



②巧みな話術で英国をのぞくヨーロッパのすべてを支配する皇帝となる。

1796年から1815年までのあいだ、ナポレオンによって起こされ展開された一連の戦争の通称を「ナポレオン戦争」と呼ぶ。

軍事面では徴兵制を採用しナショナリズムの形成に寄与した。傭兵が中心だった戦争に、「国のために戦うぞ!」という気持ちを中心に据えたのだ。


彼は、言葉が非常に巧みであった。

戦略戦術の才能は言わずもがなであるが、それ以上にその話術に着目したい。彼は捕虜に対して虐待を禁じ、やさしく接するよう説いた。

「秘密をしゃべらせるために、人を鞭打つような恥ずべき行為はやめるべきだ。このような方法で人間を拷問にかけても得られる結果は、みじめな捕虜に、自分を捕らえた男の気に入りそうなことをべらべら喋らせるだけのことだ。」

ナポレオンは、人間の本質を見抜いており、さらにはその情報の大切さをよく知っていた。


またナポレオンは、小さな軍同士の小競り合いを、あたかも運命の一戦のように掻き立て、部下の奮戦を非常にヒロイックなストーリーとして語った

それらは、将兵たちを感激させ、彼らのの士気を非常に高めた。


〇トラブルの際、部下や取引先の下請け業者を責め立てるようでは、相手はご機嫌取りのために真実ではない甘美な言葉を口から発するだろう。それらはさらなる不利益をも招きかねない。

部下や取引先には、小さな功績も大きく取り上げ、相手のやる気を出してあげることで、さらに大きな成果を生むことができるだろう。



③優れた法律「ナポレオン法典」を発布。

市民法、商法、民事訴訟法、刑法、治罪法からなる民法典で、フランスの現行法の基礎にもなっているだけでなく、ヨーロッパ諸国および日本の民法もこのナポレオン法典を参考にしている

それだけ出来が良いということだ。そんな出来の良いそれでも現在までに多くの変容をし続けて来ている


ルールはその時代状況によって変わっていくものだ。あなたがそれを変えられるような立場に近い位置にいるのならば、古い慣習にとらわれるべきではない。

今のあなたの組織のルールが本当に最善のものとなっているのか考えてみてはどうだろうか。思考を停止してはいけない。



ナポレオンの失敗

ナポレオンには失敗談も欠かせない。これらの事柄は彼の人間らしさを後世の私たちに伝えてくれる。

①スペインの反逆

②イギリスへの国交封鎖による終わりの始まり

③ロシアの寒さをみくびった



①スペインの反逆

ナポレオン率いるフランス軍は、破竹の勢いでヨーロッパ全土を収めたが、スペインにおいては統治の雑さが見えた。

スペインにおけるフランスの兵士たちは非常に傍若無人にふるまい、スペイン人たちの反感を大いに買ったのだ。

これによりスペインの民衆はゲリラ戦を展開。(ゲリラという言葉はスペイン語で戦争を意味するゲラの最小単位で、この時生まれた言葉)

フランス兵は突然襲い来る民衆たちに手をこまねき、民衆たちは虐殺にあうという凄惨な戦いを招いた。結果的にナポレオンはスペインから撤退することになる。


〇組織が勢いにのっているからといって。拡大を急ぎすぎると、その統治にほころびが生じ、崩壊を招くという教訓である。


②イギリスへの国交封鎖による終わりの始まり

ナポレオンはイギリスだけは屈服させることができなかった。イギリス海軍に勝てなかったのである。

その結果ナポレオンは、従属させたヨーロッパの国々に、イギリスと交易をしないよう禁じたのだ。

これにはヨーロッパの各地が反発。それまでイギリスに輸出することで得ていた富が得られなくなるばかりか、産業革命による質の良いイギリス製品を輸入することができなくなったのだから。

これに対してロシアが公然と反発。ナポレオンと交戦状態となる。

それまではフランスのため、国民のために戦っていたナポレオンが、制服のために味方の不利益を顧みない命令をしたため、反発を招いてしまったのだ。


私利私欲のために行う行為は、結局自分の不利益となって返ってくるという教訓である。全体の利益のために行う行動が、自身の利益を生むものである。


③ロシアの寒さをみくびった

反旗を翻したロシアとの戦いで、ナポレオンはモスクワまで攻め入る。しかし、ロシアの焦土作戦によって疲弊したナポレオン軍は寒さも相まって撤退を余儀なくされる。

しかし弱り切ったナポレオン軍にロシアは追撃。ナポレオン軍は壊滅状態となり、この敗戦をきっかけにヨーロッパ全土がフランスに対して反乱。ナポレオンの栄光は終わりに向かうことになる。


〇どんなに勢いに乗っていても、相手の得意とする場面では相手に分があると想定して計画すべきである。




外伝

①一日3時間しか寝なかった?

②大変なにおいフェチ

③缶詰の原型を発明

④服の袖にボタンを設置



①一日3時間しか寝なかった?

これは噂話が伝搬したというのが主流だ。秘書官のブーリエンヌの証言で、ナポレオンは毎晩8時間以上しっかり眠り、昼寝までしていたというのだ。ナポレオンのあまりの苛烈な仕事ぶりに、周囲の者がいつ寝ているのかわからなかったため3時間しか寝ていないといった噂話が出回ったのではないだろうか。


〇効率的な仕事をこなすためには、良い睡眠はやはり大切なのである。


②大変なにおいフェチ

ナポレオンは、遠征先から妻のジョセフィーヌに対して、帰宅するまで風呂に入らず待っているように。という旨の手紙を出している。

彼女の大衆を存分に味わいたかったということらしい。


〇誰にでもある種のこだわりはあるものだ。どこか息抜きを見つけよう。


③缶詰の原型を発明

みなさんご存じの「缶詰」。その原型はナポレオンの軍が作り出した。

遠征での平坦確保には、当時途中の村を襲って略奪するという方法が主流であった、しかしこれでは不安定かつ非効率的である。

この問題を解決するためのアイデアを募集した際、瓶に詰めて持っていくというアイデアが出た。

これがのちに缶詰となったのだ。


問題に直面した時は新たなアイデアを募ってみるととてつもない発明が生まれるかもしれない。


④服の袖にボタンを設置

寒い地を行軍中、鼻水を軍服の袖で拭いている兵士をみたナポレオンは、だらしないと叱り、袖で鼻水を拭けないよう軍服の袖にボタンをつけさせた。


〇スーツや制服の袖のボタンには、現在では意味はないかもしれないが、しっかりとした由来があったのだ。

叱って辞めることを強制するのではなく、させない工夫を考えるのもデキる上司の手腕であろう。


いかがだったろうか。

偉人をただ勉学として暗記するだけではつまらないが

こうして現代の自分の状況に置き換えてみると、ヒントが見えてくるのが面白い。


参考資料

エミール・リードウィッヒ著『ナポレオン伝』
長谷川秀記著『伝記・自叙伝の名著』

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